2019年11月04日

樹齢200年のクスノキ

樹齢約200年のクスノキが民家の塀から道にせり出して生えている。この木は一見すると塀の外から生えてきたように見えるが、実は根が家の地下までおよんでいる。背の高いトラックが枝に当るたびに振動が伝わり、家が大きく揺れるそうである。土塀を大きくしのぎそびえ立つ楠の姿は迫力があり、いつまでも残りそうな勢いを感じさせる。歴史を感じさせる家屋と一体となって、ユニークな景観を形成している。幹には紙垂がまかれ,人々に大切にまつられているようである。

所在地:大阪府大阪市福島区海老江3丁目4番20号

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道引地蔵尊

明治24年(1891年)に建立。4畳半ほどのお堂に、お地蔵さんが佇んでおり、地域の人々の信仰を集めている。ビルに挟まれた地蔵堂で、その界隈の地域性がかいま見られる地域資源である。堂自体は老朽化しているが、地域の人々の信仰と親しみのある場所であり、地域の力で維持管理している点が評価できる。古い小さな粗末な外観の建物ではあるが、今後も永く守るべき地域の心の資源である。

所在地:大阪府大阪市北区豊崎1丁目2番7号

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出世地蔵尊

戦災による焦土の中から発見され、「地中から世に出た」事から「出世地蔵尊」と名付けられた。繁華街の中にあり、地元の商売人や出世を願う人たちが参拝している。

所在地:大阪府大阪市中央区道頓堀2丁目(神戎橋南詰)

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門兆鴻邸

シュエケ邸と隣り合わせに建っていて設計者(A.N.ハンセル)も同一人物である。少し赤みがかった濃い茶色の縁取りに、ごく薄いピンク色の下見板張りの外壁がよく似合う。急勾配の屋根とハーフティンバーに似せた破風部の装飾が特徴の建物。現在も住宅として使用されている非公開建物である。
建築年:明治28(1895)年
所在地:兵庫県神戸市中央区山本通3-5

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神戸北野ハンター迎賓館

130年を超える歴史が築き上げた木の温もりや様式の美しさを今に伝えるハンター迎賓館。数ある北野の異人館の中でも、400坪の広大な敷地面積を誇るのはここだけです。明治・大正の薫りが漂う由緒正しい邸宅である。今現在は結婚式場として利用されている。

所在地:〒650-0002神戸市中央区北野町2丁目13-1

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神戸華僑総会会館

正式には中華民国留日華僑総会会館(旧ゲンセン邸)
1909年 明治42年竣工
A N ハンセン 設計
非公開の異人館です。

住所〒650-0011
兵庫県神戸市中央区下山手通2丁目12-11

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薩摩堀川跡碑

阿波堀川と百間堀川を結ぶために寛永5年(1628年)薩摩屋仁兵衛が開削を始め、2年後の寛永7年に完成させた。この堀川は当初「阿波座新堀」と呼ばれていたが、開削者の名からと、薩摩藩下屋敷に物資の運搬がされていたので、「薩摩堀川」となった。

所在地:大阪府大阪市西区立売堀4-2(薩摩堀公園)

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2019年11月02日

神戸ミカエル教会

明治9(1876)年に鯉川筋に誕生した伝道所を前身に、消失と移転を繰り返しながら昭和34(1959)年に現在の場所へ。建物の周囲には愛らしい天使像も。

電話番号:078-351-3463
所在地:兵庫県神戸市中央区下山手通5丁目11-1

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神戸ハリストス正教会

正教会とはキリストから2000年間連綿と受け継がれてきた歴史と伝統に誇りを持っている教会派で、ギリシア正教とかロシア正教といった風に各国で一つの教会組織を置くことを原則としています。西欧側からは東方教会とも言われますが、本来的な言い方としては正統を意味する「オーソドックス」が使われます。ハリストスは、ヘブライ語の「メシア」のギリシア語訳から来たもので、「キリスト」を意味します。神戸でのオーソドックスの歴史は古く、1873年にイオアン小野壮五伝教者が正教を布教したことに始まります。第二次世界大戦後、コスモポリタンチョコレートで有名なV・モロゾフの尽力で、ここに生神女就寝聖堂(ウスペンスキー教会)が建立され、それが1968年に神戸ハリストス正教会となったものです。この教会は、なかなか公開されている時間が少ないのですが、礼拝のタイミングであれば見学できます。聖堂維持のための「ろうそく献金」をして、露出の多すぎない服装で礼節を守って内部を見せてもらいましょう。なお、聖堂内の撮影は禁止されています。

所在地:〒650-0003兵庫県神戸市中央区山本通1-4-11

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神戸バプテスト教会

バプテストとは、キリスト教のプロテスタント系の一派で、清教徒の分離派運動の中から、幼児洗礼を否定し「信仰は本人が自覚的に選び取るもの」として、全浸礼(バプテスマ)をする人たちです。現在はアメリカのプロテスタントとしては最も信者数の多い教派で、有名人としては、ノーベル平和賞を受賞した、マーチン・ルーサー・キング牧師がいます。神戸バプテスト教会は、1952年に建てられたもので、その後、光の丘幼稚園も併設されました。1995年の阪神・淡路大震災で、倒壊を免れた教会は、全国のボランティアの活動拠点となり、幼稚園舎は地域の人々の避難所として用いられました。神戸バプテスト教会の内部は、プロテスタントらしくシンプルで、過剰な装飾はありません。聖書主義を標榜するバプテストに相応しい雰囲気です。せっかくの機会ですので、神戸北野の散策の途中に、この教会の内部を見学し、長椅子に腰を下ろして、置かれてある聖書を開いてその一節をひも解いてみてください。

○所在地
〒650-0003兵庫県神戸市中央区山本通1-7-27

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みなと元町駅

みなと元町駅は、兵庫県神戸市中央区栄町通四丁目にある神戸市営地下鉄海岸線の駅である。駅番号はK03。 2つある駅入口のうち西側にある1番出入口は、1908年(明治41年)竣工の旧第一銀行神戸支店(辰野金吾設計)の外壁を利用している。夜間はライトアップされる。 第2回近畿の駅百選選定駅である。 元町エリアの東西方向ほぼ中心部にあることが駅名の由来だが、JR西日本・阪神電気鉄道(阪神)の元町駅は当駅から600mほど離れており、同駅へは旧居留地・大丸前駅からのほうが近い。
○歴史
2001年(平成13年)7月7日 - 神戸市営地下鉄海岸線の新長田駅 - 三宮・花時計前駅間の開通と同時に開業。
2011年(平成23年)4月 - この年度より2年間を期限として、駅名板下広告として「ワコーレ和田興産前」が掲出される(以後、2018年度まで掲出を更新)。
2019年(平成31年)3月31日 - 駅名板下広告の契約期間が終了。

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神戸駅

神戸駅は、兵庫県神戸市中央区相生町三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。駅番号はJR-A63。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。市内の主要駅の一つだが、神戸の繁華街の中心駅は三ノ宮駅・三宮駅である。

〇概要
駅舎は近代化遺産の指定を受け、貴賓室などの由緒ある施設が保存されている。また、第2回近畿の駅百選にも選出された。東海道本線の西側の終点および山陽本線の東側の起点であり、東海道本線を所属線としているが、線路自体は途切れることなく東西方向に繋がって直通運転が行われており、当駅を起終点とする列車はごく一部の普通列車に限られている。大阪駅(東海道本線所属)から当駅を介して姫路駅(山陽本線所属)に至る区間を「JR神戸線」の愛称で旅客向けに案内している。当駅から分岐する別の路線はない。ホームの南(浜側)には、両路線の起終点を示すキロポストがある。歴史的には東海道本線が元々から国有路線であったのに対し、山陽本線は民間の山陽鉄道によって作られ、後に国有化された。都市名を冠する主要な駅ではあるが、神戸市役所や商業地域の中心地に近いのは二つ東隣の三ノ宮駅、県庁は一つ東隣の元町駅が最寄駅であり、山陽新幹線の停車駅は北に離れた新神戸駅である。かつては、当駅の西側の新開地一帯が市内で最も繁華な地区であった。乗降客数は当駅よりも三ノ宮駅の方が多いので、特急列車は三ノ宮駅のみに停車し、当駅を通過するものが多い。ただし、かつて運転されていた寝台特急「彗星」は特急列車の中で唯一、三ノ宮駅を通過し当駅に停車していたが、2000年3月に「あかつき」との併結運転開始と同時に当駅から三ノ宮駅に停車駅が変更となった。その後、「彗星」は2005年9月30日で廃止され、それと引き換えに「はまかぜ」が当駅に一部停車するようになった(「はまかぜ」は三ノ宮駅にも停車する)。なお、1978年10月1日以前は新快速も当駅を通過していた。アーバンネットワークエリアおよびICOCA利用エリアに含まれている。また、長距離乗車券の特定都区市内制度における「神戸市内」の中心駅である。駅長が配置された直営駅であり、管理駅として神戸市内の山陽本線の所属駅である兵庫駅-舞子駅間の各駅および山陽本線支線(和田岬線)の和田岬駅を管轄している。

〇接続路線
以下の駅との連絡が可能となっている。
神戸市営地下鉄-ハーバーランド駅
g阪神電気鉄道・阪急電鉄神戸高速線-高速神戸駅
321系・225系の車内ディスプレイでは、上記のうち地下鉄海岸線のみが連絡路線として表示されている。 また、三ノ宮駅・元町駅・新長田駅と同様、山陽新幹線新神戸駅(地下鉄山手線で連絡)との連絡扱いをしている。

〇歴史
1874年(明治7年)5月11日-官設鉄道の駅として開業。新橋駅 - 横浜駅間の鉄道開通に続く2番目の鉄道の大阪駅 - 当駅間の路線の終着駅で、開業時の駅舎はレンガ造りであった。
1889年(明治22年) 7月1日-東海道本線の原型となる新橋駅 - 当駅間が全線開通。2代目の駅舎になる。また、神戸鉄道局(後の大阪鉄道管理局)が置かれた。
9月1日 - 山陽鉄道が兵庫駅から延長され、当駅に乗り入れ。
1895年(明治28年)4月1日-線路名称制定。東海道線の所属となる。
1906年(明治39年)12月1日-山陽鉄道が国有化され、官設鉄道のみの駅になる。
1909年(明治42年)10月12日-線路名称制定。東海道線の本線部分が東海道本線となり、旧・山陽鉄道線は山陽本線となる。
1928年(昭和3年)12月1日-東海道本線貨物支線の湊川駅に貨物取り扱い業務を移管。当駅での貨物の取り扱いを廃止。湊川駅自体は神戸駅の敷地を客貨分離により分割したもの。
1930年(昭和5年)7月1日-駅高架化に先駆け、三代目の現在の駅舎に改築。近代的設備を備えたこの駅は、貴賓室などもそなえた豪華なものともなっていた。
1931年(昭和6年)10月10日-高架駅化。
1978年(昭和53年)10月2日-新快速の停車駅となる。
1980年(昭和55年)12月1日-行政区の合併により駅の所在地が生田区から中央区となる。
1985年(昭和60年)3月14日-湊川駅が廃止。跡地は再開発され、1992年9月に神戸ハーバーランドとなっている。
1987年(昭和62年)4月1日-国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日-路線愛称の制定により、東海道本線の大阪駅 - 当駅間および山陽本線の当駅 - 姫路駅間で「JR神戸線」の愛称を使用開始。
1995年(平成7年) 1月17日-阪神・淡路大震災により、営業休止。
1月30日-当駅-須磨駅間が営業再開。
2月20日-灘駅-当駅間が営業再開。
8月6日-自動改札機導入。
1997年(平成9年)2月16日-JR神戸線標準接近メロディ「さざなみ」導入。
2000年(平成12年)9月12日-電光掲示板導入。
2002年(平成14年)7月29日-JR京都・神戸線運行管理システム導入。
2003年(平成15年) 9月18日-バリアフリー化工事が完成。エレベーターの使用を開始。
11月1日-ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2007年(平成19年)3月18日-駅自動放送を更新。
2013年(平成25年)5月2日-自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。
2018年(平成30年)3月17日-駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。

〇所在地
神戸市中央区相生町三丁目1-1


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本寿寺

戦後に復興した日蓮宗の寺。ひときわ目を引く日蓮上人の像は、戦火で焼け野原と化したこの地に「人々の心のよりどころになるものを」と建立。像もその下にある納骨堂も庭も壁も、起訴は全て住職らの手作りで、阪神淡路大震災にも耐えたというから驚きだ。

電話番号:078-341-0982
住所:兵庫県神戸市中央区下山手通7-1-35

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福徳寺

花隈公園の碑文に「本丸の北西隅に天守」とあり、それを示す「花隈城天守閣の跡」碑がこの寺の前に。寺を囲む城壁の様な堀が印象的だ。

電話番号:078-341-4980
住所:兵庫県神戸市中央区花隈町15−3

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ハンター坂

電柱のような鋳物の柱に「ハンター坂」と書かれた金属板の しゃれた標識が建っている。また 歩道上には「ハンター坂」と書かれた石の標識もある。

ハンター坂
神戸市は,昭和48年(1974年)に集中豪雨等の際に発生する土砂流出や流木をくい止め,市街地を災害からまもるために,ここに土砂貯留容量,3000立方メートルの堰堤を築いた。かつて,この地には,1843年にイギリスで生れ,1867年に神戸に来て,貿易業のかたわら造船業をおこした E.H.ハンター氏の邸宅があった。この異人館は,昭和36年(1961年)に解体され,王子公園に移築されて重要文化財として保存されている。E.H.ハンター氏は,この屋敷の横から再度山への登山道を開いたといわれ,これが毎日登山の発祥ルートであるといわれている。「ハンター坂」と呼ばれたこの登山道も,昭和20年代にはじまった砂防工事等で通れなくなり,今は緑の自然林がよみがえりつつある。
昭和59年3月神戸市

○由来
かつて坂上にハンター邸があったことに由来する

○所在地
兵庫県神戸市中央区山手通1丁目と2丁目の間から 北野町3丁目と4丁目の間まで。(更に北野3丁目まで)

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2019年10月09日

堀江川跡碑

元禄11年(1698年)西横堀川と木津川をつなぐ掘江川が河村瑞賢によって開削され、堀江新地ができた。新地での幕府の優遇策により、色々な文化などが起こり、学者や文化人を生み出した。昭和35年(1960年)に市街地開発のため埋め立てられた。

所在地:大阪府大阪市西区南堀江1-13-23(堀江公園)

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奈良春日神社

由緒;創建年代不詳なるも、往昔当村住人三宅石雄の妻は藤原氏の出身にて子無きを憂え大和の国春日大明神に祈りて男子を出産。故に御神威を崇め大神(天児屋根命)を勧請し地名を奈良と呼び、安産の神として崇敬される。春日神社と称し全村崇敬の誠を捧げ奉れり。当時の神事祭等は大和の国春日大社の神職三人来たりて行うと伝えられる。明治5年村社に列せられる。
○御祭神   
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、天照皇大神(あまてらすすめのおほかみ)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、産火火瓊々杵命(ひこほほににぎのみこと)
○配祀
天下魂命(あまくだりたまのみこと)、天八下魂命(あまのやくだりたまのみこと)天合魂命あまのあいむすびのみこと)、太玉命(ふとたまのみこと)武甕槌命(たけみかづちのみこと)、大山積命(おおやまつみのみこと)     

○社殿移設
昭和38年大阪府道中央環状線建設に当り、境内及び林地の一部、末廣池の半分を道路敷地として提供したので、社殿の位置を南方に20メートル勇姿まま移築された。昭和39年2月完了。
境内案内板より

所在地:大阪府茨木市天王1−1−22

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藤井藍田の玉生堂跡

西区南堀江の高台橋公園の一角に 「玉生堂跡」の碑が建っている。藤井藍田は1816年(文化13年)大坂に生まれる。幼名平三郎、名は尚徳。 家業の呉服と藍を営む「綿屋」を息子の卯右衛門に譲り、1857年(安政4年)に南堀江高台橋南詰東入北側に「玉生堂」を開き、漢・儒学の教授を始めた。この塾に、勤王の志士達が出入りし、彼らのアジトとなり、幕府からは危険分子として睨まれていた。

所在地:大阪市西区南堀江3-1(高台橋公園)

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長州萩藩蔵屋敷跡

この辺りはかつての江戸堀の一角で、江戸時代には中之島とともに諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいたところです。蔵には米をはじめ諸国の物産が集められ、大坂はこのため天下の台所として賑わいました。ここにあった広大な長州萩藩の蔵屋敷には、幕末動乱に際して、長州に落ちのびる途中の三条実美ら尊王攘夷派の公卿七人も立ち寄ったことがあります。

所在地:大阪府大阪市中央区土佐堀1

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大阪商業講習所

大阪商業講習所は、1880年(明治13年)11月、五代友厚らによって大阪府に開設された商業教育機関である。1885年(明治18年)3月、府立大阪商業学校に改組されるまで存続し、現在の大阪市立大学などの源流とされている。

○沿革
・開設の背景
商業講習所開設のきっかけとなったのは福沢諭吉門下で慶應義塾に学んだ加藤政之助による新聞論説である。彼は1879年(明治12年)8月、編集主幹を務める『大坂新報』紙上に社説「商法学校ヲ設ケサル可ラス」を掲載し、全国の商業の中心として栄える大阪になぜ商法学校がないのか、という問題提起を行った。同紙の経営者であり大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)の初代会頭でもあった五代友厚は加藤の提起に応え、加藤および門田三郎兵衛(豪商)・桐原捨三(福沢門下のジャーナリスト)の3名を仮創立事務委員とし、自らは創立員代表として商業講習所の開設準備を進めた。

・「私立大阪商業講習所」時代
1880年(明治13年)10月、大阪講習所の生徒募集広告が新聞に掲載され、入学試験を経て60名余りの生徒が11月の開所とともに入学した。私立学校として発足した講習所の初代所長(校長)に就任したのは創立事務委員の桐原で、5名の教師はいずれも日本人であった(先行の東京商法講習所が外国人教師を招いていたのとは対照的である)。講習所の課程は昼間の「正則科」と夜間の「速成科」に分かれており、「簿記・経済・算術」の3科目に加え「習字作文」・「実地演習」が講じられた。特に実地演習では、講習所のなかで模擬の会社・官庁・取引所などを置き生徒が模擬取引を行う実践的教育が行われた。さらに上述の創立メンバー4名がいずれも日中間の経済的提携を標榜する興亜会会員であったことから、課程外科目として「支那語学」が教授されていた。この時期、卒業年限は1年未満から3年まで、生徒個人の能力により一定してはいなかったが、平均すると1年半を要している。講習所の経営は五代を筆頭とする創立員の個人的寄付に大きく依存しており、特に創立事務委員を兼ねていた門田の寄付が多く、これに住友吉左衛門・鴻池善右衛門・藤田伝三郎ら地元大阪の豪商・実業家が続いていた。しかし開設後ほどなくして個人の寄付に依存する形態では財政が苦しくなり、1881年(明治14年)3月には15名2企業よりなる創立員が連名で大阪府知事に「公立大阪商業講習所設立建言」を提出、講習所の大阪府移管を求めた。

・「府立大阪商業講習所」時代
前記の建言を受理した建野郷三府知事は、1881年(明治14年)8月、有志者による資金援助を前提に講習所を府に移管し「府立大阪商業講習所」と改称した(当初管轄は府の学務課だったが1882年(明治15年)1月以降は勧業課に移管された)。府への移管にともない制定された「大阪商業講習所正速改正規定」では、正科の入学資格を満13歳以上の小学中等科卒業者(及びそれと同等の者)とし、修業年限を3年、大阪に在籍の者は入学金・月謝を無料とし、夜間速成科では入学資格を「商家もしくはその雇にして昼間に暇なき者」(すなわち勤労青少年)とし、修業年限を1年半、全ての生徒の入学金・月謝免除とするなど、制度上の整備が進められた。また、山本達雄教頭の下で生徒の「前垂れ掛け」が奨励され、「卒業後は株主総会やその他の場所で自己の所信を表明できるように」正科生を集めて演説の練習会が行われた(しかしこの演説練習会は当時盛んであった自由民権運動との関係を疑われ、また府知事の見学よりも先に立憲改進党幹部の前島密による学校視察を許したことから府に非難され、山本教頭は1882年(明治15年)9月辞職を余儀なくされた)。この頃になると講習所の生徒は大阪のみならず、近隣の関西地方や中国・四国・九州など遠隔地からも集まるようになっていた。 その後、創立員の中心であった五代が死去し、また前記の事情により低廉に抑えられていた月謝収入が見込めず、府議会も予算拠出に消極的であったことから講習所は再び財政難に陥り、講習所は農商務省に補助金支給を求めたが却下された。このため中等学校たる第1種商業学校への転換をはかる方針に転じ、1885年(明治18年)3月に講習所の設備・教員をそのまま継承して「府立大阪商業学校」が開設された。

○後身の諸機関
府立大阪商業学校は1889年(明治22年)、市制特例による大阪市制の発足にともない「市立大阪商業学校」へと改編され、その後さらに高等教育機関たる市立大阪高等商業学校-(旧制)大阪商科大学へと発展を遂げた。このため大阪商業講習所は市立大阪商業学校の後身である大阪市立天王寺商業高等学校、および大阪商大の後身たる新制の大阪市立大学の起源とみなされている。

○校地の変遷
開設時の講習所は現在の大阪市西区立売堀3丁目17番地にあった旧町会所の建物を校舎とし、大阪府移管(1881年8月)にともない同じく西区江戸堀南通3丁目18番地の旧府会議事堂2Fに移転された。江戸堀の校舎は府立大阪商業学校に継承され、同校の後身である市立大阪商業学校が1892年(明治25年)10月、現在の北区堂島浜通2丁目12番地の新校舎に移転するまで使用された。 立売堀の旧校舎は移転後も使用・保存されていたが第二次世界大戦中の戦災で焼失し、現在は「阿波座南公園」の一部となっている。なお同地には市制施行70周年を記念し1961年(昭和36年)3月に「大阪商業講習所跡」の記念碑(石碑)が建立されている。

○所在地
大阪府大阪市西区立売堀二丁目2(阿波座南公園内)

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