2016年11月30日

敏馬神社

敏馬神社は、神戸市灘区岩屋中町にある神社。式内社で、旧社格は県社。国道2号と 国道43号が東から西へ1本に重なる道路に北接する丘の上に鎮座する。阪神電鉄 岩屋駅の南東約150m。

○祭神
敏馬は、古く、?売、美奴売、三犬女、見宿女等の文字で書かれることもあった。現在は素盞嗚尊を主祭神とし、天照皇大神・熊野坐神を配祀しており、江戸時代までは「牛頭天皇」と称していた。本来の祭神はミヌメ神(美奴売神・敏馬神)であった。ミヌメ神はその神名から水神の弥都波能売神と同神とみられ、現在では境内社の水神社に弥都波能売神が祀られている。閼伽井あるいは三犬女清水と呼ばれる井戸がある。この女神の名を、敏馬とする説が有力。他に、柿本人麻呂の歌「玉藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島の崎へ 舟近づきぬ」からの発想であろうか、藻塩を製造する時に使用する海松(ミル)からとする説もある。

○歴史
『摂津国風土記』逸文に当社創建に関する記述がある。神功皇后が新羅征伐に出発する際、川辺郡神前松原(現在尼崎市の神崎もしくは豊中)で戦勝祈願したとき、猪名川上流の能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利すると告げた。その通りにして勝利を納めた帰途、古代には南に突き出した岬となっていた当地の沖で船が動かなくなり、船上で占いをするとこれは美奴売山の神の意志であるとわかったので、そこに美奴売神を祀ったという。これはある程度史実を伝えている模様で、住吉大社神代記にも猪名川の女神と武庫川の女神が住吉大神の気を引くために、互いに競ったことが記されている。摂津国風土記逸文に、豊受大神が丹波国に遷座する前は、摂津国稲倉山(所在不明)に居たことが記されているが、この稲倉山は猪名川上流域(豊能郡?)にあったのではないかとの説がある。延喜式の玄蕃寮の項には、特に、新羅より賓客が来朝したとき、生田神社で醸した酒を、当地にてふるまったことが見える。難波の鴻臚館でも酒をふるまっているので、当地で酒をふるまうことは一種の儀式だった。延喜式神名帳では「摂津国八部郡 ?売神社」と記載され、小社に列している。都から現在の大阪を経て、西国に船で向かうときの最初の宿泊港であり、西国から都に戻る時、大和を意識させる生駒山などが見え出す地でもあることから、柿本人麻呂、大伴旅人、田辺福麻呂はじめ、多くの歌人によって、和歌が当地で詠まれた。江戸時代には、俳人の与謝蕪村も兵庫の北風家に立ち寄る途中、度々訪れている。西国街道(浜街道)に面していたので、様々な遊戯施設が設けられ、陸からも、海からも、参拝者が訪れ、賑やかであった。明治6年(1873年)8月に村社に列格し、昭和5年9月に県社に昇格した。昭和20年6月5日、戦災により社殿を焼失し、昭和27年に再建された。本殿のある丘の下に湧水があったが、阪神・淡路大震災で涸れてしまった。

○縁切りの神
古来より、この神社の前を、離縁を恐れて花嫁行列は通らない。女神が嫉妬するからだと言われているが、縁切りでも有名で、様々な縁切の方法が伝えられている。

○例祭
10月10日

○所在地
兵庫県神戸市灘区岩屋中町4-1-8

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posted by かずぼん at 20:00| 神社寺散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旧陸軍工兵第四聯隊営門柱・哨兵所

門扉は戦前のもの。レンガ造りの営門の右手前にひっそり哨兵所が建っている。設計建築共に不詳。建設年は1920(大正9)年前後と推測される。

所在地:大阪府高槻市城内町城跡公園

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posted by かずぼん at 19:51| 建築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月27日

深高寺開運厄除祈願祭(星まつり)御祈祷会2017

深高寺で、無病息災を願う行事として「開運厄除祈願祭(星まつり)」が開催されます。住職と有志による寺院修法師7人の大祈祷会、祈祷御経頂戴が行われ、一年の無事を祈ります。豆まき、菓子まき、甘酒の接待もあります。※道路の降雪、積雪などにご注意ください。
所在地:〒679-3453兵庫県朝来市佐嚢1278
開催期間:2017年2月12日村祈祷/14:00〜、本まつり/14:30〜
交通アクセス:JR播但線「新井駅」から車約15分
主催:深高寺(有志)
料金:御祈祷申込の場合は必要
問合せ先:深高寺079-677-1136



posted by かずぼん at 14:00| イベント(風物詩含む) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野崎観音除夜の鐘2016

慈眼寺で大晦日の23時頃から整理券が配られ、住職の撞く最初と最後の鐘以外の106回の除夜の鐘を、参拝客が撞くことができます。甘酒のふるまいもあります。
所在地:〒574-0015大阪府大東市野崎2-7-1
開催期間:2016年12月31日整理券配布/23:00頃〜
交通アクセス:JR学研都市線「野崎駅」から東へ徒歩10分
料金:無料
問合せ先:野崎観音(慈眼寺)072-876-2324



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新春かき初め大会「いにしえの高槻を書く」2017

高槻の歴史や考古学に関係する言葉を課題字とした「新春かき初め大会」が、小中学生を対象に今城塚古代歴史館で開催されます。2017年のテーマは「古曽部・芝谷遺跡」です。提出された作品は、1月21日から2月5日の冬季トピック展で展示されます。また同期間中に古曽部・芝谷遺跡を紹介する企画展が開催され、課題字に関係する資料が展示されます。※書道道具、練習用半紙は持参ください。
所在地:〒569-1136大阪府高槻市郡家新町48-8
開催期間:2017年1月4日〜5日10:00〜16:00
開催場所:今城塚古代歴史館1階体験学習室
交通アクセス:JR京都線「摂津富田駅」から市バス「氷室」〜徒歩8分もしくは「今城塚古墳前」〜徒歩1分
料金:参加無料
問合せ先:今城塚古代歴史館072-682-0820



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こつま南瓜祭り2016

冬至の日に無病息災を祈願し、生根神社の境内で、中風除けや莫気(ボケ)払いによいとされる蒸しカボチャが振る舞われます(有料/なくなり次第終了)。「こつま南瓜祭り」の“こつま”とは、神社のある玉出の古名を勝間(こつま)村といったことに由来します。勝間村の名産のひとつに「勝間南瓜」があり、江戸時代の飢饉の際、人々がこの南瓜により飢えをしのぎ、命を救ってもらったお礼に南瓜を奉った「こつま南瓜塚」が、今も境内に残ります。※駐車場はありません。
所在地:〒557-0045大阪府大阪市西成区玉出西2-1-10
開催期間:2016年12月21日9:00〜14:30頃まで(カボチャがなくなり次第終了)
交通アクセス:地下鉄四ツ橋線「玉出駅」から徒歩3分、または南海本線「岸里玉出駅」から徒歩3分
主催:生根神社
料金:蒸しカボチャ初穂料/800円
問合せ先:生根神社06-6659-2821



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神戸文学館

神戸文学館(Kobe City Museum of Literature)は兵庫県神戸市灘区にある近代文学館。
○概要
阪神・淡路大震災からの文芸復興のため、神戸市が策定した「文化創生都市推進プラン」の一環として、2006年12月4日に開設された。近代に活躍した神戸ゆかりの小説家・詩人・文学者41人の原稿や所縁の品々等を時代ごとに区切りその時代の神戸の風景写真とともに常設展示する。また神戸を描いた文学者と作品についての展示も行っている。館建物は1904年に、関西学院初代チャペルとして建設(M・ウィグノール設計)され、後に神戸市立王子図書館、王子市民ギャラリーとして親しまれた歴史的建造物を使用する。登録有形文化財(2008年3月登録)。

○施設
常設展示ゾーン
「竹中郁コーナー」-竹中郁の書斎の一部を再現
企画展示ゾーン
神戸文学地図
セミナーエリア
神戸の本棚

○利用情報
開館時間 平日-10:00〜18:00
土・日・祝日-9:00〜17:00
休館日-水曜日(休日の場合はその翌日)、12月28日 〜 1月4日

○交通アクセス
阪急神戸線王子公園駅徒歩5分
JR神戸線灘駅徒歩8分
阪神本線岩屋駅徒歩11分

○所在地
〒650-0838兵庫県神戸市灘区王子町3丁目1番2号

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posted by かずぼん at 11:53| 建築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四條畷の戦い

四條畷の戦いは、南北朝時代の1348年(正平3年/貞和4年)1月5日、河内国北條(大阪府四條畷市・大東市)における、南朝方の楠木正行と足利尊氏の家臣高師直との間の戦い。また、四條縄手という地名や、味方であった水走氏が東大阪市五条町に館があったことなどから、大阪府東大阪市の四条(縄手)付近で戦いがあったという説もある。
○背景
1336年(延元元年/建武3年)、楠木正成が湊川の戦いで敗死してから、楠木氏はしばらくの間鳴りを潜めていた。正成の子楠木正行が成長すると、本拠地である河内国南部で次第に力を蓄え、摂津国南部の住吉・天王寺周辺までゲリラ的に出没し、足利方を脅かすようになった。1347年(正平2年/貞和3年)9月、楠木軍は藤井寺近辺で細川顕氏を破り、11月には住吉付近で山名時氏を破った。

○経過
足利方は本格的な南朝攻撃を決意し、ついに1348年1月に高師直を大将とする大軍を編成して、北上する楠木軍と四條畷に対峙した。楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決した。勢いに乗った高師直は、南朝の本拠吉野(奈良県吉野郡吉野町)に攻め入り陥落させ、後村上天皇はじめ南朝は賀名生(同県五條市)に逃れた。戦後、楠木氏は楠木正儀が後を継ぐ。『太平記』では、楠木軍が少数の兵で突撃し、あと一歩で師直の首を取るところまで迫ったように描かれているが、実際には兵力の差は歴然で、楠木軍の惨敗だったようである。




posted by かずぼん at 09:36| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

湊川の戦い

湊川の戦いは、南北朝時代の1336年((建武3年)5月25日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。

○背景
この年の初め、足利尊氏は新田義貞・楠木正成・北畠顕家らに敗れて京都を追われ九州へ落ち延びていた。ここで、正成が後醍醐天皇に、状況が宮方に有利な今のうちに足利方と和睦する事を進言するが、後醍醐はこれを退け、義貞を総大将とする尊氏追討の軍を西国へ向けて派遣した。なお、正成は和睦を進言した事で朝廷の不信を買い、この追討軍からは外され、国許での謹慎を命じられた。義貞は播磨国の白旗城に篭城する足利方の赤松則村(円心)を攻めている間に時間を空費し、この間に尊氏は多々良浜の戦いで九州を制覇して体制を立て直すと、京都奪還をめざして東進をはじめた。尊氏は高師直らと博多を発ち、備後国の鞆津を経て、四国で細川氏・土岐氏・河野氏らの率いる船隊と合流して海路を東進した。尊氏軍の東上に遭い、撤退を始めた新田軍に赤松勢が追撃を仕掛け、新田軍は大量の寝返りや足利軍への投降者を出しながら敗走した。一気に陣営がやせ細ってしまった義貞は、兵庫まで兵を退いて体制の立て直しを図った。

○経緯
後醍醐天皇は正成に兵庫で足利軍と戦うよう命じ、援軍として差し向けた。水軍を用意できなかった新田軍は、本陣を二本松(和田岬と会下山の中間)に置き、和田岬にも義貞配下の脇屋義助・大館氏明などの軍勢を配置して水軍の上陸に備えた。楠木軍は湊川の西側、本陣の北西にあたる会下山に布陣した。合戦では、足利直義を司令官とする陸上軍の主力数万の大軍は西国街道を進み、少弐頼尚は和田岬の新田軍に側面から攻撃をかけた。また、斯波高経の軍は山の手から会下山に陣する楠木正成の背後に回った。さらに、細川定禅が海路を東進し生田の森(神戸市三宮、御影付近)から上陸すると、義貞は退路を絶たれる危険を感じて東走し、楠木軍は孤立する。ここで誰も居なくなった和田岬から、悠々と尊氏の本隊が上陸した。楠木正成は重囲に落ち、奮戦するものの多勢に無勢はいかんともしがたく、楠木軍は壊滅。正成は弟の楠木正季ら一族とともに自害した。建武の新政にて功績を上げた武士で安芸国有力在庁官人の石井末忠も戦死した。新田義貞は西宮から軍勢を返すと、生田の森を背にして足利軍と激しく激突した。合戦は「新田・足利の国の争ひ今を限りとぞ見えたりける」との激しさに及んだ。合戦の規模からすると、新田と足利の合戦が湊川の合戦の本戦と呼べる。しかし、兵力差は歴然であり宮方は敗北、義貞は求塚において源氏重代の鬼切、鬼丸の太刀を振るって奮戦し、大将みずから殿軍を務めて、味方を都へと退却させた。この際、窮地に陥ったところ配下の小山田高家が駆けつけ、身替わりとなって義貞の命を救ったという。高家は秩父平氏・小山田氏の系譜を引く武将と見られ、建武3年3月に播磨で刈田狼藉を行い軍令違反に問われていたが義貞に赦免され、その恩義から義貞の身代わりになったという。ただし、この逸話は『太平記』古本には見られず、後世の加筆である可能性が考えられている。当時の神戸市付近は、現在よりも海面が高かったこともあり、今以上に海が六甲山地に迫っていて平地が狭く、大軍の行動には適さなかった。そのため、宮方は水軍を全く持っていなかったことが決定的な敗因となった。

○後世への影響
湊川の戦いや、正成が出陣前に嫡子の楠木正行を本拠地の河内国へ帰した「桜井の別れ」などは、勝ち目のない戦と知りながら天皇のために忠義を尽くして死んだとして講談などで人気を博し、戦前の皇国史観教育や唱歌などでも盛んに取り上げられた。 現在の兵庫県神戸市中央区には、正成・正季兄弟終焉の地として楠木一族を祭神に祀った湊川神社があり、徳川光圀自筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑などが存在する。太平洋戦争末期の1945年3月21日の九州沖航空戦の際、神風特別攻撃隊第一神雷桜花隊、第一神雷攻撃隊(桜花とその母機である一式陸上攻撃機で編成された攻撃隊)は、九州南方沖に迫ったアメリカ海軍高速空母機動部隊に対する攻撃に出撃したものの、敵の艦上戦闘機部隊の迎撃により全滅した。この部隊の指揮官であった海軍少佐野中五郎は、鹿屋基地を出撃する際に、「これは湊川だよ(湊川の戦いのようなものだよ)」と嘆息したと言われている。また、正成は当初、京都から撤退し足利軍を京都に引き入れた後に挟撃する作戦を主張したのに対し、公家の坊門清忠がたびたびの動座(天皇の行在所への移動)は体面が悪いとしてこれを退け、結果として敗北に終わったことから、昭和の軍部における、内閣からの指揮を拒否する思潮の論拠のひとつともなった。




posted by かずぼん at 08:00| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

太郎坊宮お火焚大祭2016

勝運授福の神として知られる太郎坊宮で「お火焚大祭」が行われます。奉納者の罪とけがれを祓い清め、新たな気持ちで新年を迎えるための神聖で盛大な祭りで、全国の信者から奉納された約10万本の護摩木に火がつけられます。修験者による火渡りの神事が披露され、一般参拝者も参加できます。
所在地:〒527-0091滋賀県東近江市小脇町2247
開催期間:2016年12月4日10:00〜
交通アクセス:近江鉄道「太郎坊宮前駅」から徒歩20分
料金:無料
問合せ先:太郎坊宮(阿賀神社)0748-23-1341



posted by かずぼん at 19:00| イベント(風物詩含む) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相楽園

相楽園は兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m2の都市公園・日本庭園。日本の文化財保護法に基づく登録記念物の最初の登録物件である。ツツジの名所として知られる。

○概要
三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。庭園の形式は池泉回遊式を基本としているが、西洋文化の影響をうけて広場が設けられている。戦前までは園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があった。しかし西洋風の旧小寺家厩舎(重要文化財)以外は全て1945年6月の神戸大空襲により焼失した。現存する大楠や蘇鉄林、大灯篭、塀、門などから失われた邸宅の雄大さをうかがうことができる。第二次大戦後になって神戸市生田区(現・中央区)北野町から旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築保存され、神戸市の迎賓館施設として相楽園会館、茶室「浣心亭」が建設され、さらに神戸市垂水区から船屋形(重要文化財)が移設されて現在の景観に至る。

○施設
船屋形(1682年〜1704年間に建造、神戸市垂水区から移設、1953年8月国の重要文化財に指定)
旧ハッサム住宅 (1902年築、神戸市生田区(現・中央区)北野町から移築、1961年6月国の重要文化財に指定)
旧小寺家厩舎 (1908年築、1970年6月国の重要文化財に指定)
相楽園会館
茶室「浣心亭」
池泉回遊式日本庭園

○利用情報
開園時間−午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)
休園日−毎週木曜日(祝日の場合は開園、翌日休園)、年末年始、菊花展期間は無休

○所在地
〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1

○交通アクセス
神戸市営地下鉄西神・山手線県庁前駅徒歩5分
阪急神戸高速線花隈駅徒歩10分
阪神本線元町駅徒歩10分
JR神戸線元町駅徒歩10分

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「旧小寺家厩舎」
旧小寺家厩舎は兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある西洋スタイルの厩舎建築。建築家河合浩蔵の設計で1910年に竣工したもの。1970年に国の重要文化財に指定されている。この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもの。相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つである。建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造である。外観は円型塔屋や急勾配の屋根・屋根窓と切妻飾り等々、ドイツ民家風の重厚な意匠に飾られている。
○建築概要
設計―河合浩蔵
竣工―1910年頃
構造―煉瓦造2階建て(2階部分は木骨煉瓦造)、一部吹抜、塔屋付、スレート葺
建築面積―188.1m2
所在地―〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1相楽園内

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「旧ハッサム住宅」
旧ハッサム住宅は兵庫県神戸市中央区にある異人館。設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。竣工は1902年。広大な日本庭園を望む南側ベランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。
○歴史
1902年に神戸市中央区北野町2丁目の旧ドレウェル邸(ラインの館)北側にインド系イギリス人貿易商J.K.ハッサム(J.K.Hassam)の邸宅として建てられた。1961年に当時の所有者である神戸回教寺院が神戸市に寄贈し、1963年に元町の山手にある相楽園内に移築保存された。1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの被害があったが修復され、現在に至る。落下した煙突は震災の記録として前庭の一角に展示されている。前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、現存する日本最古級のガス灯である。
○利用情報
相楽園閉園日―毎週木曜日定休、祝祭日にあたる場合は開園、翌日休
邸内公開時期4月20日〜 5月31日(毎週木曜日定休、祝祭日にあたる場合は開園、翌日休)10月20日〜11月23日(期間中無休)
公開時間午前9時〜午後4時30分
○建築概要
建築主―J.K.ハッサム
設計―A.N.ハンセル (推定)
竣工―1902年(明治35年)
構造―木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、外壁下見板張、ベイウインドウ、鎧戸、ペジメント
延床面積―397.58m2(1階173.61m2、2階179.73m2、地階5.42m2、附属棟29.18m2、倉庫9.64m2)
所在地―〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1相楽園内

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「船屋形」
船屋形は、兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物"川御座船"である。御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件である。なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するもので、その希少性と歴史的文化的価値の高さから1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定されている。この建物は江戸時代、姫路藩(姫路市)で使用されていた川御座船の屋形部分にあたる。建造年については、飾り金具の本多氏家紋の痕跡から1682年から1704年の間とされている。幕末は飾磨港(現在の姫路港)にあったが、明治になって移築する際に船体部分が破棄され屋形部分も大幅に改変された。昭和14年、垂水区舞子に復元移築され、1980年(昭和55年)には現在の相楽園に移築された。
○建築概要
建造年-天和2年(1682年)から宝永元年(1704年)の間(推定)
構造-木造2階建、桁行五間、梁間一間、一重二階、切妻造段違、檜皮葺
建築面積-43.74m2
所在地-〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通5-3-1相楽園内
重文指定年月日-1953年(昭和28年)8月29日





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posted by かずぼん at 17:04| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月23日

神戸郵船ビル

神戸郵船ビルは兵庫県神戸市中央区海岸通にある歴史的建造物。

○概要
メリケン波止場のすぐ北の初代米国領事館の跡地に1918年、曾禰達蔵・中條精一郎の設計により旧日本郵船神戸支店として建設された近代ビル。 当初は銅葺きの屋根と円形ドームを戴いていたが、1945年の神戸大空襲で焼失した。1994年に日本設計設計、大林組・藤木工務店施工により施された耐震補強工事によって、1995年の阪神・淡路大震災を軽微な被害で乗り越えた。このリフォームは、第5回BELCA賞を受賞している。現在は1階は商業施設になっており、2階以上が貸事務所となっているが、非常時以外は2階以上には建物の西側にある通用口からのみ入るようになっている。夜間は日没から22時までライトアップされる。

○交通アクセス
神戸市営地下鉄海岸線・旧居留地・大丸前駅徒歩8分
阪神本線・元町駅徒歩10分
JR神戸線・元町駅徒歩10分

○所在地
〒650-0024神戸市中央区海岸通1-1-1

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posted by かずぼん at 17:21| 建築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神戸華僑歴史博物館

神戸華僑歴史博物館は兵庫県神戸市中央区海岸通、南京町の南西に位置する日本で唯一の華僑博物館である。
○概要
神戸華僑歴史博物館は初代館長の陳徳仁が中心となって1979年10月に神戸中華総商会ビル内に開設された。神戸華僑歴史博物館神戸在住の華僑によって運営されており、展示も中華人民共和国や中華民国双方ともの主義主張に偏らず中庸であり、神戸華僑来日の経緯やコミュニティーの発展の様子などが資料とパネル・写真によって展示されている。同館には、神戸とも関わりの深い孫文や戊戌政変で日本に亡命した梁啓超直筆の扁額や書も展示されており、貴重な文物が多い。 陳徳仁死去後、同館は管理者不在の状態が続き、2002年より神戸華僑歴史博物館は一年半ほど休館していたが、2003年4月に展示内容を更新しリニューアルオープン。英語名をThe Kobe Overseas Chinese History Museumと定めた。神戸華僑歴史博物館では年に2回、博物館会員に向けて館の動向や華僑・移民研究者の報告を掲載して博物館通信を発行したり、学術面では日本の華僑研究の拠点として様々なシンポジウムや研究会,講演活動を行っている。また年に数回は特別展を開催し、旧正月が近付くと隣接する南京町と共同で南京町で行われる春節祭の変遷や神戸華僑の行事の紹介を行っている。

○所在地
〒650-0024兵庫県神戸市中央区海岸通3丁目1-1KCCビル2F

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旧神戸港信号所

旧神戸港信号所は、兵庫県神戸市中央区の高浜旅客ターミナル(高浜岸壁)南端にある歴史的建造物。

○概略
神戸港に現存する最古の信号所建造物。高さは46.3m。内部には2階にのぼるための手動のエレベーターがある。当初は信号旗を使用。その後発光信号に変更され、1990年(平成2年)に新港第5突堤で信号所としての役割を終えた。現在はハーバーランドのシンボルタワーとして高浜岸壁南端に移築され、保存処置が講じられている。夜間はライトアップされる。

○年譜
1921年(大正10年)-新港第四突堤に建設
1937年(昭和12年)-新港第5突堤に移動
1985年(昭和60年)-ポートアイランドに新信号所設置
1990年(平成2年)-業務移行により閉鎖
1992年(平成4年)-歴史的建造物として保存が決定

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旧神戸居留地煉瓦造下水道

神戸旧外国人居留地の浪速町筋と明石町筋に残る下水施設。口径約90cm円形管90mと,口径60×46cm卵形管1.5mからなり,いずれも煉瓦半枚厚。我国最初期の近代下水施設であるとともに,最初期の煉瓦造構造物のひとつ。英国人技師ハートの設計。

所在地:兵庫県神戸市中央区浪花町・明石町

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北野工房のまち

北野工房のまちは、神戸市中央区にある「神戸ブランドに出会う体験型工房」である。「校舎の面影を極力残す事」をコンセプトに、旧北野小学校の校舎をリニューアルして1998年にオープンした。館内には神戸フランツ、神戸南京町皇蘭、亀井堂、といった神戸ブランドの著名店が20余り入居しており、販売を行っているほか、各店で革小物やアクセサリー、豚まん、パン等の製作を体験できる。

○施設
テナント数19
講堂405m2
ギャラリー80m2

○建物概要
敷地面積:5,135m2
延床面積:1,950m2
所在地:〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通3丁目17−1

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○ショップ
1階
亀井堂
神戸南京町 皇蘭
神戸紅茶
神戸フランツ
Ju-c-100%
ユーカリプティース
灘の酒蔵通り
神戸北野旭屋精肉店
2階
和ろうそくkobe松本商店
マッチ棒
北野カフェ
神戸靴工場
神戸クリスタル80
ぱーるA&S
ファーストピクチャ
リトルクラフト神戸
和雑貨のお店 桜色
花ギャラリー&スクール フロージェ
帽子工房イフティアート

○交通アクセス
JR元町駅徒歩10分
阪神元町駅徒歩10分
神戸市営地下鉄西神・山手線県庁前駅徒歩10分
神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅徒歩10分
山陽新幹線新神戸駅徒歩15分
阪急神戸三宮駅徒歩15分

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posted by かずぼん at 17:13| 建築物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南京町

南京町は、神戸市中央区の元町通と栄町通にまたがるエリアの通称で、正式な地名ではない。南京町商店街振興組合の登録商標でもあり、中国風の意匠を特徴とするチャイナタウンである。

○概要
横浜中華街、長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの一つに数えられ、東西約200m、南北110mの範囲に100あまりの店舗が軒を連ねる。店頭の路上で点心、スイーツ、食材、記念品などを売る店も多く、休日は地元の買い物客や観光客で賑わう。「南京町」という用語はかつて中国人街を指す一般名称であった。しかし、そのほとんどは戦後に改称したため、現在では事実上神戸のこの地区のみを指す固有名詞となっている。南京町の中央通りは、十字路になっていて中央の広場には「あずまや」、東は「長安門」、西は「西安門」、南は「南楼門」という名前の門があり、北は元町商店街につながる。午前10時頃から開店ではあるが、車両通行禁止になる午前11時までは納品車両が行き交うので歩行には注意が必要である。日が暮れて夜になると「長安門」や「あずまや」はライトアップされる。現在在住の華僑の人々は横浜華僑6000人に対して神戸華僑はその倍近い1万人を超えているといわれる。しかし、横浜中華街と比べると神戸南京町は規模が随分と小ぶりである。実際に生活の場でもある横浜中華街と違い、神戸の南京町には居住者は少なく、ほぼ純然たる商業地となっているためである。関帝廟や神戸中華同文学校などの華僑関連施設は山手に点在している。実際の神戸華僑の居住地は、鯉川筋、トアロード、北野町などであり、神戸の有名な中華料理店の大半も南京町ではなく三宮など市内中心部に拠点を置いている。これは、神戸では南京町が居留地ではなく雑居地に開かれた結果ではあるが、また同時に神戸華僑の人々が他の地域に比べて日本人社会と良好な関係を築いてきた証拠ともいえる。神戸では、古くは呉錦堂に代表されるように事業に成功した者が多く、華僑といえば「商売上手で裕福な人が多い」と認識されてきた為、民族的対立も比較的少なく前述の通り日本人社会との良好な関係を築いてきたといえる。それゆえ、戦前の一時期南京さん等の言葉が侮蔑的に用いられた事はあったものの、南京町という名称は既に世間に広く認知されているとして戦後も名称を変更する動きもなかった(横浜と長崎では、中華街に改称している)。近年、春節祭(旧正月)などの主要な行事に、多くの日本人も参加している。当日には多くの市民や観光客が集まり、南京町のみならず神戸の重要な行事にもなっており、関西地方の地域ニュースでも毎年おなじみの光景である。また、最近では、経済発展著しい中国への関心の高まりで華僑子弟の多くが通う神戸中華同文学校に入学を希望する日本人子弟も急増している。

○歴史
1868年に神戸港が開港し、外国人用の居留地が設けられた。当時、清国との間には通商条約を結んでいなかったため、華僑は居留地内に住むことを許可されずに、西隣に住み始めたのが南京町の始まりとされる。1945年の神戸大空襲で全焼。戦後は主に進駐軍相手の歓楽街として復興したが、その名残もあって退廃化が進み、1970年代までは路地の舗装もされず、周辺には船員向けのバーが立ち並び、夜になれば街娼が立つようなエリアとなっていた。1981年(昭和56年)の「南京町復興環境整備事業実施計画」以降は広場や楼門の建造などの環境整備が行われ、一気に観光地化が進んだ。現在では南京町と呼ばれる区画も当時の二倍に広がり、新興や他地区から移転してきた中華料理店が続々と立ち並んでいる。阪神・淡路大震災においても被害を受けたが復興を果たしている。特に、罹災直後から行われた店頭での軽食販売は好評を博し、現在も継続されて南京町の名物となっている。

○行事
春節祭
興隆春風祭
中秋節

○交通アクセス
西日本旅客鉄道(JR西日本)・阪神電気鉄道 元町駅
神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅みなと元町駅

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posted by かずぼん at 17:08| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本願寺神戸別院

願寺神戸別院は、兵庫県神戸市中央区下山手通にある浄土真宗本願寺派の寺院である。同派本山の西本願寺(京都市)直属の別院である。「モダン寺」の愛称でも呼ばれている。その昔、摂津国八部郡二つ茶屋村に寺舎が築かれ、寛永十六年(一六三九)年に第十三代良如宗主より寺号を授与された善福寺を前身としている。1917年の本堂焼失後、大谷光瑞、大谷尊由らの手により復興が進められる。尖塔や壁面彫刻などインド様式を取り入れた斬新な建築様式で知られ、異国情緒豊かな5つの尖塔とステンドグラスが非常に美しい。本堂の前には親鸞聖人のブロンズ像が建立されている。1995年改築後は、ホールや会議室などを備えた多目的施設も備えており、仏前結婚式も行われる。本堂は、別院では珍しく内陣に畳を用いず、椅子席規範に準拠した門主席、新門・前門席、礼盤及び内陣となっている。インド様式を取り入れた寺院は、同じ西本願寺の別院である本願寺名古屋別院、直轄寺院である築地本願寺がある。

○略年表
1639年(寛永16年)-摂津国八部郡二つ茶屋村、善福寺に第十三代良如宗主より寺号を授与され創建
1917年 (大正6年)-木造の本殿が焼失
1929年(昭和4年)-6月、印度式、鐡筋コンクリート造の大寺院が落成
1995年 (平成7年)-老朽化に伴い改築され、現在の建物が完成

○所在地
兵庫県神戸市中央区下山手通8-1-1

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旧居留地十五番館

旧居留地十五番館は、兵庫県神戸市中央区の旧居留地にある西洋館。旧アメリカ合衆国領事館。旧居留地に唯一現存する居留地時代(1868年〜1899年)の建築物で、国の重要文化財にも指定されており、当時の街区境界の煉瓦塀や石柱などとともに保存されている。重要文化財指定名称は「旧神戸居留地十五番館」。館は神戸市立博物館の西向かいに位置する。館の東玄関脇の歩道には日本最古の近代下水道である「旧神戸居留地煉瓦造下水道」(工事期間1868年-1872年)の遺構(国の登録有形文化財)が展示されている。日没から23時までライトアップされる。

○歴史
1880年頃、アメリカ合衆国領事館として建てられたもので、その後、商館等として使用されていた。現在は株式会社ノザワの所有になっている。1995年の阪神・淡路大震災において全壊してしまったが、元の建材で明治時代の建築技術および最新の免震技術を導入した復元工事が行われて1998年に完成した。この工事のとき、創建当時の塗装色に変更され、木柵と門扉も再建されている。

○施設
レストラン[TOOTHTOOTH maison15th]が2012年9月15日より営業中

○建築概要
2階の南正面にはベランダを設け、屋根上には左右2つの三角形のペディメント(破風)を設ける。建物東側にアーチ形の入口があり、1階内部は廊下の途中にイオニア式円柱とアーチを組み合わせたセルリアーナがある。2階ベランダ部分は、後の改造により室内に取り込まれていたが、阪神・淡路大震災後の復旧に際して、元通りベランダに復元された。当建物の西側には、隣の「居留地十六番」との境界の煉瓦塀と境界石柱(「16・15 」と刻まれている)が残り、重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

○交通アクセス
JR西日本三ノ宮駅徒歩10分
JR西日本元町駅徒歩8分
阪急神戸三宮駅徒歩10分
阪神神戸三宮駅徒歩8分
阪神元町 徒歩8分
神戸市営地下鉄山手線三宮駅徒歩10分
神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅徒歩5分
ポートライナー 三宮駅徒歩10分
山陽新幹線新神戸駅 車10分

○所在地
兵庫県神戸市中央区浪花町15番地

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旧居留地38番館

旧居留地38番館は、兵庫県神戸市中央区の旧居留地にある歴史的建造物。名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味する。 百貨店の大丸(現大丸松坂屋百貨店)が所有し、北側と西側に隣接する大丸神戸店の倉庫として使われていた。現在では、建築の価値を生かして店舗の一部として用いられている。1980年代、旧居留地が「最も神戸らしい街」に再生するきっかけとなる象徴的な建物の一つでもある。

○概要
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で1929年にシティバンク神戸支店として建設された。1階をシティバンクが使用、2階には独逸染料、バイエル薬品が入居、3階に帝国酸素が入居していた。その後2階のドイツ系2社が退去し、2階、3階を帝国酸素が使用した。南側正面に4本のイオニア式円柱と東側面に7本の壁柱および石積み外壁等の石造意匠を有したアメリカン・ルネッサンス様式の近代建築。仲町通りに面して大正時代築の外壁が残されている神戸大丸百貨店2号館・3号館と隣接しており、それらとともに100mにわたるクラシカルな外観で統一された街区を形成する。夜間は日没から22時までライトアップされる。

○建築概要
設計-ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/ヴォーリズ建築事務所
竣工-1929年
改修-1988年
施工-竹中工務店
構造-鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階
所在地-〒650-0037 兵庫県神戸市中央区明石町40
近代化産業遺産(「旧居留地銀行ビル群、海岸通商業ビル群」の一部)

○交通アクセス
神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅 徒歩すぐ
阪神本線元町駅徒歩5分
JR神戸線元町駅徒歩5分

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