2017年09月24日

鞴祭・刀剣鍛錬神事2017

鍛冶と鋳物の神に感謝する祭事が、生國魂神社内の鞴(ふいご)神社で行われます。鞴とは製鉄や鋳造、鍛冶に使われた古式の風を送る火熾(ひおこ)しの道具で、現在でも作刀に際し伝統的な手法の鍛冶場で使用され、鞴祭は11月8日に全国の鍛冶場や製鉄所で執り行われます。祭典後には、台所や厨房などに貼って祀る「火難除けおふだ」が配られ、巫女さんより御神酒が配られます。
所在地:〒543-0071大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
開催期間:2017年11月8日10:30〜12:00頃
開催場所:鞴神社(生國魂神社内)
交通アクセス:地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目駅」から徒歩4分、または近鉄大阪線「大阪上本町駅」から徒歩9分
主催:難波大社生國魂神社(生玉神社・いくたまさん)
料金:無料
問合せ先:生國魂神社社務所06-6771-0002



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高谷家住宅

大正期に開発された住宅地内に建つ初期の洋風住宅。鉄骨構造で外壁はコンクリートブロック積みとする。内部は,和洋併用で全体的に質の高い意匠にまとめる。風見鶏付の銅板切妻大屋根は,この地域のランドマーク的存在で広く親しまれている。
年代:大正13頃
所在地:大阪府大阪市住吉区帝塚山中3-8-18

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箕面富2017

現在の「宝くじ」の起源とされ、約950年の歴史を持つ箕面山瀧安寺の富くじ「箕面富」が行われます。身体健勝、商売繁盛にご利益があるとして江戸期に人気を集めた「箕面富」は、その後明治期に入ると「万人講くじ」に形を変えて続けられ、近年古式に則った形で復活されました。光明寺流総師範の菊公帆泰肇による筑前琵琶の演奏が奉納された後、富くじが行われ、当たりを得ると特別御守「大福御守」と「辨財天招福お札」が授与されます。2017年は、参加者(ミニ大福御守の購入者)のみ、瀧安寺秘蔵で未公開の皇室関係の掛け軸の一部を、特別に拝観することができます。
所在地:〒562-0002大阪府箕面市箕面公園2-23
開催期間:2017年10月10日ミニ大福御守販売/9:00〜無くなり次第終了※筑前琵琶演奏10:40〜、箕面富開始11:00
開催場所:箕面山瀧安寺観音堂
交通アクセス:阪急箕面線「箕面駅」から徒歩15分
主催:箕面山瀧安寺・箕面富実行委員会
料金:箕面富にはミニ大福御守(1000円)の購入者のみ参加可能
問合せ先:箕面山瀧安寺・箕面富実行委員会072-721-3003



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三宝荒神祭2017

大寺さんとして親しまれている堺の開口神社で三宝荒神祭が営まれます。台所の火を守る神様のお祭りで、食物作りに関わる人々が大勢お詣りします。
所在地:〒590-0953大阪府堺市堺区甲斐町東2-1-29
開催期間:2017年11月28日10:00〜
交通アクセス:阪堺電気軌道「大小路駅」もしくは「宿院駅」から徒歩3分、または南海「堺駅」・南海高野線「堺東駅」から南海バス「大寺北門前」〜徒歩2分
主催:開口神社
問合せ先:開口神社社務所072-221-0171



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源正寺楼門

知恩院末で,鉄道敷設等により中央区上本町より現地に移築。初重袴腰を塗込める竜宮造の楼門で,上層は出組,二軒繁垂木,入母屋造,本瓦葺とする。蟇股や肘木の形式・絵様に近代らしい意匠が充溢するとともに,旧熊野街道に面し竜宮門として親しまれている。
年代:明治22/大正12移築
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町18-34

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流鏑馬神事2017

大阪天満宮の秋大祭で行われる流鏑馬神事は、元和元年に松平忠明公が大坂城主として入城後、幕命により乗馬を神事に供したことに始まるとされます。室町時代の狩装束の騎者が、馬上から半弓で的を打ち破ります。
所在地:〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
開催期間:2017年10月25日15:00頃〜
交通アクセス:JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩3分
問合せ先:大阪天満宮06-6353-0025



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黒井の清水大茶会2017

茨木神社で毎年開催される「黒井の清水大茶会」は、太閤秀吉が鷹狩りのため茨木に立ち寄った際、境内の「黒井の清水」を大変気に入り、大坂城での茶会のために茨木まで水を汲みに行かせ、茶の湯に使用したという逸話にちなんだ行事です。お茶席をはじめ、茨木の物産品の即売会やお楽しみ抽選会、お茶会に使用する水を使った喫茶コーナーなどが楽しめます。
所在地:〒567-0882大阪府茨木市元町4-3
開催期間:2017年10月21日〜22日野点/21日9:30〜16:00、22日10:00〜16:00※奉茶式/21日9:00〜9:30
交通アクセス:阪急京都線「茨木市駅」から徒歩8分、またはJR京都線「茨木駅」東口から北東へ徒歩10分
主催:一般社団法人茨木市観光協会
料金:お茶券/1枚500円
問合せ先:一般社団法人茨木市観光協会072-645-2020




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2017年09月23日

明石薪能2017

古来より多くの人々に受け継がれてきた伝統文化を今に伝える「明石薪能」が開催されます。明石公園に設置された本格的な組立式能舞台で、かがり火の中、狂言、能が演じられます。今回は、第20回の節目にあたり、座席が300席追加され、合計約1700席(全席自由)が用意されます。演目は、能「玄象(げんじょう)」、狂言「狐塚(きつねづか)」です。
所在地:〒673-0847兵庫県明石市明石公園1-27
開催期間:2017年9月30日17:30〜19:35(予定)※悪天候の場合は中止
開催場所:兵庫県立明石公園西芝生広場(組立式能舞台)
交通アクセス:JR神戸線「明石駅」・山陽電鉄「山陽明石駅」北出口から西へ徒歩5分
主催:明石薪能の会
料金:当日券3000円(前売りあり)、高校生以下1000円(当日・前売りとも)
問合せ先:明石薪能の会事務局(公益財団法人明石文化芸術創生財団)078-918-5085



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2017年09月22日

我孫子鋳物師ゆかりの地

中世後期には、当地に鋳物師集団が居住し活躍していた。最近の発掘調査によると、14〜15世紀の銅・鉄製品鋳造用の炉や鋳型が発掘されている。平安時代末以降、河内丹南には有力鋳物師集団の存在が知られている。当地の鋳物師はこの河内丹南の集団を源流とするかどうか不明であるが、室町時代宝徳3年(1451)の河内鋳物師に関係する文書には、我孫子・苅田・庭井などの鋳物師名のあることから、密接なつながりがうかがえる。天文年間(1532〜1555)には織田信長の庇護もあり、河内鋳物師集団をしのぐ勢力をもっていた。
所在地:大阪府大阪市住吉区山之内元町3山之内元町公園
最寄駅:JR「杉本町」下車北約400m

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一休禅師牀菜庵跡

一休和尚(1394〜1481)が、晩年仮棲したところである。一休は後小松天皇の落胤と伝え、天衣無縫・反骨で終始し京都・奈良・堺など移り住んだ。文明元年(1469)奈良から堺に来て、住吉に居住していた。翌2年、堺の豪商尾和宗臨(大徳寺伽藍再興に尽力した)が、ここに一庵を設けて一休を招請した。一休はここを雲門庵と体し、弟子ともとも移り住み、数年後この空き地の一角に庵をつくり牀菜庵と号した。一休は文明10年(1478)には京都田辺酬恩庵へと去った。庵跡は明治初年まで、それらしき門跡や竹やぶが残っていたという。
所在地:大阪府大阪市住吉区上住吉二丁目6上住吉公園
最寄駅:南海電鉄「住吉東」下車南約300m

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一運寺

住吉大社の摂社・大海神社の東側に隣接する一運寺(浄土宗) に大石内蔵助・主税父子と寺坂吉右衛門の墓がある。リーダの大石内蔵助良雄(よしたか)は、代々家老職を務める家柄で、1500石の扶持を得ていた。討ち入りの主役であり、映画やテレビでは、恰幅のよい役者がそれを演ずるが、事実は痩せっぽちの小男であったらしい。良雄は8歳の頃、朱子学の観念論化を批判して幕府からにらまれ、赤穂に配流された兵学者山鹿素行から、その教えを受け、また、16〜7歳頃には、京で伊藤仁斎の堀川塾に学び、武芸は東軍流の剣豪奥村無我より剣術免許皆伝を授かっている。太平の世で、事件が起きなければ、平々凡々の一生を過ごしたと思われるが、事件発生後は城明け渡しから、討ち入りまでまで、性格や意見も違う同志を統率し、目的達成を果たしたリーダーシップ振りには感嘆させられる。45歳で切腹。内蔵助の長男である主税良金(よしかね)は 部屋住であったため、当初内蔵助は義盟に加えるつもりは無かったが、父と行動を共にしたいという本人の意志が強かったため、元服をさせ、名前も幼名の松之丞から主税と改めた。同志の中では最年少で、切腹したときは僅か16歳であった。寺坂吉右衛門信行は討ち入り同士の中で、唯一を免れた義士であるがその経緯には諸説あるようだ。身分は同志の1人吉田忠左衛門の足軽で、討ち入り本懐を遂げた後、泉岳寺に向かう途中、寺には入らず立ち去っている。「逃亡説」を始め、大石内蔵助の意を受けた「生証人説」等々、義士研究家の間では論議が盛んであるが、吉右衛門自身は広島浅野本家に報告後、忠左衛門の娘婿である、姫路藩士伊藤十郎太夫宅に身を寄せ、伊藤十郎太夫の転封にも、越後−三河刈谷−下総古賀とつき従い、忠実に働いている。後、旗本山内主膳家にも仕え、83歳で没している。(討ち入り当時は39歳であった)

所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-6-23
最寄駅:阪堺電軌「住吉」下車東へ、「大海神社」の斜め前

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扇祭り2017

扇を使った芸能事の上達を祈願する祭りが開口神社で開催されます。砂で作った壇にて焚上げ神事が行われ、使い古した扇子が焼き上げられます。その灰は扇塚の後に設けられた穴に埋められます。
所在地:〒590-0953大阪府堺市堺区甲斐町東2-1-29
開催期間:2017年11月2日11:00〜
交通アクセス:阪堺電気軌道「大小路駅」もしくは「宿院駅」から徒歩3分、または南海「堺駅」・南海高野線「堺東駅」から南海バス「大寺北門前」〜徒歩2分
主催:開口神社、扇塚顕彰会
料金:参拝無料、祈願絵馬奉納有料
問合せ先:開口神社社務所072-221-0171




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依網池跡

この依網池は約1平方キロメートルにも及ぶ大池で、長く灌漑に利用されていた。しかし宝永元年(1704)大和川の付け替えで、池は大和川により分断され縮小し、現在では全く姿を消している。
所在地:大阪府大阪市住吉区庭井二丁目18
交通:市バス「よさみ神社前」下車南約200m

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2017年09月16日

台風18号の動きが気になる。

台風18号の動きが気になる。大阪直撃かな。




ラベル:日記
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2017年09月10日

若宮商工稲荷神社

大阪商工会議所ビル(大阪市中央区本町橋2−8)南隣りにある若宮商工稲荷神社は、 大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が大阪の商工業発展を祈念して奉祀した「商工稲荷神社」が、 大阪商工会議所の移転に伴って堂島から現在の内本町へ移されることとなり、 昭和40(1965)年9月に移転先である内本町の建設用地内にあった「若宮稲荷神社」の ご神体と合祀され、新たに建立されたものです。以来、現在に至るまで大阪商工会議所歴代の会頭をはじめ多数の方々がご参拝されており、 地元商工業関係者の方々はもとより、地域住民のみなさんにも鎮守として親しまれ、 広くご参拝をいただいています。

所在地:大阪市中央区本町橋2−8

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秋の例大祭特殊神事「どんじ」2017

紫金山に鎮座する吉志部神社の例大祭(秋祭)では、吹田市の無形民俗文化財に指定されている特殊神事「どんじ」の奉納行事が行われます。唐櫃(からひつ)に詰めたお供え物や幟を携えて町内を練り歩き、神社に奉納します。どんじの行列には、着物に縄の帯、サンドラという藁の輪をかぶったお稚児さんも参加します。宵祭では太鼓だし巡行、本祭では子供神輿なども催されます。境内には露店が並び、賑わいます。※露店は、10月17日の午後から夜のみ
所在地:〒564-0001大阪府吹田市岸部北4-18-1
開催期間:2017年10月16日〜17日【1日目(宵祭)】小路太鼓だし巡行/15:00〜18:00頃【2日目(本祭)】どんじ奉納行列(稚児行列)/9:30〜12:00頃、祭典/14:00〜15:00頃、子ども神輿宮入り/16:00〜18:00頃
開催場所:吉志部神社および周辺地域
交通アクセス:JR京都線「岸辺駅」から徒歩20分、またはJR京都線「吹田駅」から阪急バス「紫金山公園前」下車
問合せ先:吉志部神社06-6388-5735



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泊園書院跡

儒学者藤沢東がい(ふじさわとうがい)が文政8年(1825)、大阪に出て泊園書院を設立。当時、民衆に漢学を教えた私塾であった。東がいの別号が「泊園」。「泊園」は私利にとらわれないという意味である。東がいは6歳でたいていの漢字を読んだ秀才で、七絃琴の名手。風雅を愛し、泊園の名のとおりの生涯を送ったという。この精神は南岳、黄鵠、黄坡と4代140年間守られた。現在石碑が立つ場所に塾が移されたのは南岳の頃で、明治9年(1876)。
南岳は一時、途絶えていた泊園書院を明治6年(1873)に再興。やがて最盛期を迎え、塾生は100名に達したという。江戸から続いた泊園書院は、昭和24年(1949)、黄坡の死によって幕を閉じた。その間に蓄積された2万冊余の蔵書は、現在、関西大学に泊園文庫として保存されている。また一族から昭和の流行作家、藤沢桓夫や石濱桓夫が出ている。

所在地:大阪府大阪市中央区淡路町1-5

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天野屋利兵衛の碑

碑は昭和14(1939)年に建立。横幅は4m、高さは2m近くもある。天野屋利兵衛の屋敷が現地付近にあったという伝承に基づいて建てられたといわれる。利兵衛は、赤穂藩の家老大石良雄から吉良邸討ち入りの武具の調達を頼まれるが、武具を作らせた人間の密告により捕らえられる。依頼書の名を白状せよと奉行所で拷問を受けるが、頑として口を割らない。この時に利兵衛が言ったという「天野屋利兵衛は男でござる」の名せりふは「忠臣蔵」でも見せ場の1つにになっている。利兵衛の義心に奉行は資材を減じ、浪速の地追放の判決を下す。こういったエピソードから碑には「義侠」の文字が刻まれている。元禄時代に、天野屋利兵衛が存在したのは確かだが、実在は不明である。

所在地:大阪府大阪市中央区本町橋3番

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大阪市立愛珠幼稚園

大阪市立愛珠幼稚園は、大阪府大阪市中央区今橋三丁目にある公立幼稚園。
○概要
1880年6月1日に開園した。現存する幼稚園としては大阪府内では最も古い歴史をもち[1]、また日本でも2番目に古い歴史をもつ。現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古、また民間の手によって建てられた幼稚園としても日本最古となっている。淀屋橋の南方、船場のオフィス街の中に位置し、適塾跡に隣接している。園の敷地は江戸時代の銅座の跡地で、その記念碑が建つ。大阪市立開平小学校との交流、専門家を招いての芸術文化体験、動植物の飼育栽培など、心豊かな子どもを育てることを目標とした幼稚園教育をおこなっている。また未就園児向けの保育や、夕方や長期休業中の預かり保育も実施している。

○沿革
1879年に道修小学校連合町会が、当時日本ではほとんど設置されていなかった幼稚園を設立して幼児保育の効果を社会一般に知らせようと建議をおこなったことが、幼稚園設立のきっかけとなっている。準備期間を経て1880年に東区今橋5丁目(現在の中央区北浜4丁目)に開園した。1889年には大阪市の市制施行に伴い、連合町会から大阪市に移管した。草創期の同園では、フレーベルの理論を取り入れた幼児教育がおこなわれた。また草創期には読み書きなどの教育もおこなわれたが、実践の中で幼児の発達段階にあわないことがわかり、読み書きなどの教育は短期間で中止された。明治〜大正期にかけては、著名人の視察も頻繁におこなわれた。園舎が手狭になったために1883年には今橋3丁目(現在の中央区今橋2丁目)に移転したのち、1901年に現在地に移転した。1901年3月に竣工した木造平屋建建築の園舎は、100年以上使用されている現役の園舎で、現存する幼稚園園舎としては日本最古である。園舎は当時の主任保母らの意見を参考にしながら、文部省の技師の指導の元で大阪府の技師が設計した。園舎は御殿風の和風建築物で、敷地の周囲に高塀をめぐらせていること、天井を高くとっていること、園庭と遊戯室との間に段差を設けていないことなどの工夫がされている。大阪の町にも空襲が相次ぐなど第二次世界大戦の激化に伴い、軍需製品を製作・納入している会社が近隣にあったことから、空襲被害の際に木造園舎の火災が延焼することを恐れた会社側が、園舎の撤去願いを1945年3月末に大阪市に出した。園舎は当時から重要な教育建築物と認識されていたため、解体時期をできるだけ遅くしてもらうように園関係者が折衝したが、1945年6月には建物疎開の対象と決定した。同年8月4日に取り壊しが計画されていたが、空襲のために作業が遅れてそのまま8月15日の終戦を迎えたために取り壊しは中止され、戦後も引き続き園舎を使用している。園舎は1999年11月に大阪市指定有形文化財に指定された。大阪市の有形文化財指定制度はこの年に始まったため、「指定第1号」のひとつともなっている。その後2007年には、岡山県岡山市の岡山市立旭東幼稚園旧園舎(1908年建築・1979年解体・1999年復元保存)とともに、幼稚園の園舎として日本で初めて国の重要文化財に指定された。

○年表
1880年6月1日-東区今橋5丁目で創立。
1883年-東区今橋3丁目・鴻池善右衛門持家へ移転。
1889年-大阪市の市制施行により、大阪市に移管される。
1901年-現在地に移転。
1907年7月21日-英国フレーベル会が日本の幼稚園の現状を調査。同園は調査資料を提出。
1910年4月21日-第1回フレーベル祭を開く。
1913年-新しい保育として幼児劇を取り入れる。
1931年3月13日-米国のニュース社が保育の様子を取材し、トーキーに撮影。
1945年3月14日-第二次世界大戦の激化に伴い、この日以降を休園とする。
1945年10月1日-保育を再開。
1947年4月21日-大阪保育会結成式の会場となる。
1948年4月24日-大阪市立愛珠幼稚園PTA結成。
1950年5月24日-国公立幼稚園園長会結成式の会場となる。
1968年-「明治百年」の特集として、幼稚園初期の様子が複数のテレビ番組で放映される。また大阪府教育委員会製作の文化財映画「明治の大阪」に明治時代の同園の様子が採録保存される。
1999年11月-園舎が大阪市指定有形文化財に指定される。
2007年-園舎が国の重要文化財に指定される。大阪市の文化財指定は解除。

○交通
大阪市営地下鉄御堂筋線・京阪本線 淀屋橋駅 南東へ約100m
大阪市営地下鉄堺筋線・京阪本線 北浜駅 南西へ約500m


○所在地
〒541-0042大阪府大阪市中央区今橋三丁目1番11号

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大阪府立貿易専門学校

大阪府立貿易専門学校は、かつて大阪府大阪市にあった、大阪府立の専修学校。2年制の専門課程を設置し、貿易実務や国際ビジネスについて学ぶことを目的としていた。英語表記は、Osaka College Of Foreign TradeでOCFTと略されていた。

○概要
1948年に1年制の各種学校「大阪高等貿易講習所」として、大阪市東区橋詰町(現在の大阪市中央区本町橋)で創立したことが、学校の始まりとなっている。その後2年制の専修学校へと改編された。公立の貿易実務分野の専修学校は、当時日本で唯一となっていた。しかし大阪府の財政難に伴い、2001年に廃校の方針が示された。学生や関係者らによる廃校反対運動も起こったが、2003年度からの新規学生募集を停止し、最後の卒業生を出した2004年3月に廃校された。

○沿革
1948年5月1日-大阪高等貿易講習所として、大阪市東区橋詰町で創立。1年制の各種学校として発足。
1967年4月1日-大阪府立貿易専門学校と改称。2年制の専門学校となる。
1976年4月1日-学校教育法の改正により、専門課程を設置する2年制の専修学校になる。
1985年4月1日-大阪市天王寺区夕陽丘町へ移転。
1995年4月1日-大阪市住吉区帝塚山東2丁目へ移転。
1998年12月25日-住吉区帝塚山東2丁目、最終所在地の校舎に移転。
2001年-大阪府議会9月議会で廃校の方針が決定。
2003年-この年から新入生の募集を停止。
2004年-廃校。

○最終所在地
大阪市住吉区帝塚山東2丁目1番41号
最終所在地の校地は、旧制大阪府女子専門学校→新制大阪女子大学(1924年-1976年9月)、大阪府立看護短期大学(1978年-1994年)、 大阪府警住吉警察署仮庁舎(1994年-1998年)としても使用されてきた。跡地は2000年代後半まで廃校当時のまま残っていたが、2010年には旧校舎は取り壊され更地になった。2011年から跡地に老人ホームが建設され、2012年7月に竣工した。

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